あれ?これ俺盗撮されてる?
―――それほどまでにこれ俺のこと書いたのかよ的な本に出会ってしまった。
それがコチラ。
ただいま「かくれ人見知り」が平静を装って生活しております。
―――俺のことかな?
―――俺のことかな?
思わず2回言ってしまった。
それくらいに本書に共感をしてしまいました。
著者の人見知り克服奮闘記
本書の内容は、漫画家の花津ハナヨさんが人見知りを克服するために
一年もの時間をかけてあれやこれや苦戦する様子を描いた、コミックエッセイ集。
人見知りを克服するために著者がなんやかんやしていきます。
この漫画で語られるのは「かくれ人見知り」
ん?それって普通の人見知りと何が違うの?
このように感じる方も多いのでは?
簡単に説明いたしますと。
人見知りには二種類いる、というのが人見知り界(住人は僕)の定説となっています。
いやホントに人とお話しするの無理です引きこもってますマジで社会出たくないです
or
まあ必要であるなら話すけど基本は話したくないというかなんというか・・・・・・
僕は後者。これがかくれ人見知りです。
引きこもってた経験とかはないし人と話せと言われたら話します。
特段人が嫌いと言うこともない。たまに電話とかするとほっこりする。
でも、基本は一人が好き、なんです。
たとえば、飲み会で「お疲れっしたー!」と別れた後、
誰であろうと帰り道が一緒だと気まずくなります。
別にその人が嫌いといことはありませんが、
のんびり瞑想しながら電車に乗りたい・・・・・・。
この後一緒にご飯行こうぜ!
いやちょっと今日は一人の気分です
嫌っているとかそういうコトではなく、相手が誰であろうと基本この姿勢なんです。
言うか言わないかは別にして
一応、初対面ではちゃんとしようとはします。話題に乗って話しますし、質問もする。
なのでしばらくしてからお会いすると「え?人見知りなんですか!?」と言われる率が以上に高いのです。うっかりコミュニケーションある奴認定されたりすることもあり。
そうなると、めんどくさい
コミュニケーション取れると思われてるのでぐいぐい来る人はぐいぐい来る。
ああああああああやめてええええええ・・・・・・。
こっちは気を遣ってるだけだからああああアアアあああああああ
本書はそんなかくれ人見知りさんの苦労を描いたエッセイ。
飲み会の件も本書にあって、めちゃ共感。
あれ、俺がいる?と何回思ったことか・・・。
引用:ただいま「かくれ人見知り」が平静を装って生活しております。
分かる、分かるぞ。
僕ら隠れ人見知りは決して人との交流を絶ちたいわけではない。断じて。
ただ、ちょっと、
うーん、、、仲良くはなりたい、、、なりたいけど、なんというかこう、距離感、、、っていうの?そこらへんは徐々に詰めつつ、というか、、、そんないきなり近い感じはちょっとなんというか、、、シャッター下ろしたくなっちゃうよ、、、的な?
というすさまじいまでの葛藤があるのだ。
正直、昔は凄く“初対面からガンガン食い込んでくる人”が、ありがたかった。
向こうから話しかけてくれるので、気持ちが楽なんですね。
それに合わせて自分もいい感じのテンションで話を合わせる感じ。
でもあるときふと、気付いてしまった。
ーーー会う度に初回のテンションって、辛くね?
結局「はあ~会う度に疲れるわあ」となるのが嫌でちょっと距離を置いたり、
時には「え?あいつ案外暗くね?」と思われ距離を置かれたりしちゃうんです。
これがまさに、シャッターをそっ閉じしてしまう現象そのもの。
その事実に気付き、最近では初対面の印象がぱっとしない人の方が長い付き合いになることが増えてきました。
「話したら面白い」とか「あ、こういう考えなんだァ」と気付きが増えて面白い。
人見知りじゃない人々にむしろ読んでほしい
本書は僕らかくれ人見知り勢が読んでももちろん面白い。
「うわあ、あるあるだわ・・・・・・」と共感することうけおい。
でもそれ以上に、そうではない人にも読んで欲しい!な一冊。
コミュ力のある方の考える「普通」と、隠れ人見知りの考える「普通」は全く別物ということを知ってほしいのである。
例えば飲み会等で顕著ですが、コミュ力のある方々は、僕らからすれば“気遣いの鬼”。
お酒が足りてない人がいれば、
あ、お注ぎしましょうか?
あまり馴染めてない人がいれば
あ!ちゃんと飲んでる~?
少し具合が悪そうな人がいれば
大丈夫?無理しないでね?
ゆかちいと飲めるかは置いといて、
なんと小回りの利くことか。
我々が周りの話に合わせて「ふへへ」と笑うのが精一杯のなか、こんなにも周囲が見れてしまうのだ。
コミュ力のある方からすれば、馴染めてない人を見ると「あれ?どうしたの?もっと話そうぜー!」と話しかけるのはごく自然。決して、悪気は無いのだ。
でも、言わせてくれーーー決して話したくないわけじゃない。友達は欲しい。
しかし頭の中で、
話しかけたいなあ、、、でも話題がなあ、、、うーん、特に語れるものはないし、せめて同じ人見知りな人とか、、、っていねーかははっ、、、あ、、、あの人一人かな話してみようかな、、、あーでも俺なんかが言っていいのかな、もしかしたら友人を待ってるだけかも、、、あ、なんか別の人が話しかけにいった、、、あー俺も行きゃよかったなー、、、話しかけたいなあ、、、でも話題g(以下ループ
ってなっちゃって行くに行けないんだ!だから簡単に「なんで話さないの?」とか言うな!おい!楽しみたいんだぞ俺だって!!!
―――なコトがちょいちょいあります。
もちろん凄く気を使ってくれてるなあというのはありがたい・・・・・・。
でも僕らは”話しかける”というハードルがーーー皆さんが軽々乗り越えるハードルがーーー果てしなく高い。
なので躊躇をしてしまうだけで、決して楽しくないわけじゃないし、楽しむ気がないわけでもない。
ただメンタルが弱いだけ。それだけ。
ということを含め、「リアルの場で主張したいけどそれが出来たら苦労しねえぜ」ということを著者がとにかく代弁してくれる本書。
先ほどの飲み会の話しも含め、“コミュニケーション力のある人”と“隠れ人見知り”の間にはマリアナ海溝ばりの深い溝があると思うんです。
そういった深い溝を埋め、「へえ、人見知りって別に全てを拒絶してるわけじゃないんだな~」と納得して頂けるいい機会になりうる本だと思うのだ。
隠れ人見知りの「トリセツ」
西野カナの歌詞と同じくらいめんどくさいかもしれませんが、
是非本書を手に取り、我々の本心を知って頂きたい所存。
最近「あーあ全てのコミュニケーションが文章になったら楽なのに」とのたまう僕にとっても、他の隠れ人見知りにとっても自分の生態を知ってもらうのに最良の機会になれば幸い。他力本願万歳