”理不尽なことに耐えられない=普通” なこと。だから落ち込まなくていいのだ、というダメ人間の言い訳を綴ります。

「マジでないっすわ~」

と愚痴をこぼしてきたのは、今コンビニでバイトをしている僕の後輩でした。
あ、この記事の後輩とは別ですよ。

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彼は今大学一年生で、いわゆる一般的な学生さんです。

「24の男がどうやって大学一年と接点を持つんや」ってなりますが、僕の会社で学生向けのイベントをちょこちょこ開催してることもあり、若い人と関わることがあるんですよね。あと学生時代の繋がりとかも残ってまして。彼もうちで開催してたイベントの参加者です。若いエネルギーに触れるのは大事ですね。仕事だけだとすぐ老け込むわい。

 

そして社会人になると学生の後輩ってのはかわいく見えるもんで、たまには一緒にご飯でもいきたくなるんです。社会人二年目、厳密には一年間プラプラしてたのでまだ一年目の僕が先輩面して「お前らに社会の厳しさを教えてやるよぐへへ」と自己満もしたいし(嘘)。なんかよくわかんない年上との接待ご飯とか死んでも拒否したいですが後輩とのご飯はいつでも歓迎なんで(少人数限定。数人におごると死ぬ)。そんな感じで「最近どうよ~」とか「何やってんの~」とか非常にゆるくご飯を食べていました。

 

「バイトで理不尽に謝罪させられました」 

で、その会話の中で出たのが「バイトで理不尽に謝罪させられた」という体験。

何があったかというと、

 

*後=後輩、客=コンビニの客、店=コンビニの店長

 

後(お会計中)

後「〇〇円です」

客(記念硬貨を出す)

後「(あれ、これ500円じゃなくね?)すみません、こちら記念硬貨なのでちょっとお使いになれないんですよ、すみません」

客「あ!?なんで!?」

後「いや、記念硬貨使えないので・・・」

客「っんだよ!!(万札を出す)」

後「あ、一万円お預かりします」

 

ここで普通にお会計終了。

会計後、客が電話を始める。

 

後「(どこに電話してんだろ)」

 

しばらくして店長が出てきて、その客と共に後輩のもとへ来ました。

で、客が一言。

 

客「こいつだよこいつ!こいつのせいで硬貨使えなかったんだよ!っざけんなよ!」

店「はい、申し訳ありません・・・。」

 

後輩の方を向く店長

 

店「すみません、先ほどコチラのお客様からお電話で“お前んとこのバイトがむかつくこと言いやがった!”と言われまして・・・。謝ってください。」

後「」

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結局後輩は謝ったそうです。ちなみにそこは記念硬貨はもともと使えないそう。

 

いやあ、さすがにかわいそうでした。後輩はなんにも悪いことしてないですもん。なんでしょうね、その変な奴。

 

コンビニだけに限らず金が絡むと理不尽なことは起こります、どーしても。働く上で上下関係が出てくるので、頻繁に「おいこら無茶言うとその口引き裂kいやあ働くって大変だなあ」と実感しています。自分で一から全てやる、という働き方でもない限りこれは逃れられないんです。コンビニなんか「お客様は神様です」思考が強すぎるんでよりいっそう。まさに理不尽だらけ。学生の頃はよく「社会は理不尽だらけだよ・・・」って大人の言葉に対して「ははっ、弱い大人ワロス(´<_`)」とか思ってましたが、大抵はそっちへ転んでしまうんですね・・・。

 

理不尽に耐えれない人=ダメ・・・なのか?

で、この理不尽に関して必ず出てくる主張が「社会は理不尽だらけ。だからこういうことに耐える経験は大切」というもの。

 

確かに実際に働くと理不尽なことっていっぱいあるんです。お金を払う側は「これくらいのことはやってほしいな」と思うし、お金を頂く側は「お金をもらってるから色々やらなければ・・・」となります。でも、お互いのキャパを全部把握してる訳はないし、相手がどういう状況なのか100%把握するのは無理だし、どういう事情があるのかはお互いに補完しなければいけない部分があるので、結果的に理不尽なことが降り注ぐのはしょうがないんです。こんな事情があるので「理不尽に耐えよ」という言葉も分かる気がします。

 

でも、ですよ *はいここからダメ人間の言い訳ターイム

理不尽って嫌じゃないですかそりゃ。
だって、自分が悪くないこととかでも謝るわけでしょう・・・?
それは誰だって嫌なもんです(ドM除く)。

でも社会に出たらそれを要求される、と。
だからこそ「理不尽に耐える経験は大切だ!」となるのだと思うのですが、

 

理不尽に耐える=普通

 

という考えが辛いんですよね・・・。

 

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この記事でも書きましたが、
別に辛ければ逃げればいいと思うんですよ、本人の人生だし。
さも“理不尽に耐えるのが普通で、それ以外はダメだ!”というのがどうなんだろうと思うのです。

 

引き合いに出すにもどうかなあと思うのですが、ニートや引きこもりになる人で考えると分かりやすいのではないでしょうか。彼らが内側にこもってしまうのは、種類はあれど、過去のトラウマや大きなショッキングな出来事ってとこに集約されていると思います。いろんな経験をして「この世は理不尽だ・・・」と感じ、その理不尽から逃げるという選択肢を取ったのかと思うんですよね。

 

で、ここで“理不尽から逃げる”という選択肢を取ったことに「いや、それは間違いだ!」と言う人はいるでしょうか?たぶん、いないと思います。そもそも世間から逃げたくなるほどの理不尽を受けてる訳ですからそのままだと下手すりゃ死んでしまいます。自分の命や今後のために理不尽から逃げるのは至極普通のことですから。

 

ちょっと例が極論ですかね・・・。でも突き詰めればこういうことかなと思います。本音なら誰だって理不尽なことからは逃げたいはず。訳も分からず嫌な思いをするのは誰だって嫌ですからね。辛いことや理不尽が降りかかるのは嫌だ・・・と、全てをぽいっとしてしまう人は、別に変わってるでもダメでもなんでもなくて、むしろ「普通」なんじゃないかな、と思うんですよね。

 

僕は”理不尽に耐えれる人=凄い”という認識 

「じゃあ働いてる人はなんなんや!」ってなります。
これは別に「じゃあ働くやつあほじゃね!?」ってことではなく、

 

理不尽に耐えて世を渡る人は「凄い人」
その中で楽しんで自分の道を進んでる人は「超凄い人」

 

なんじゃないかな、と。
たぶんこれより下のレイヤーの人間はいないと思っております。
起業とかしてる人は凄いですよね。
迫りくる障害や問題を楽しんでる人多すぎい!な訳です。

 

理不尽から逃げた、人間としては普通な感覚を持った“普通の人”
それよりも上の人がいるかいないか
というだけだと思います。

あ、ちなみにダメなのは犯罪犯した系です。人としてくずはダメです。
普通に生きてる分にはみんな「普通の人」か「凄い人」なんですよ

 

まとめ

まあ今回の記事はダメ人間の戯言と捉えてくださいな。
だって、理不尽なことは嫌だもん・・・。
これは人としてはきっと一般的な感覚のはず。
それから逃げたい!と考えるのは至って普通な気もするのです。

 

そいでもってそれに耐えて働いてる人は「凄い人」だし、自分でなにかを始めてる人なんかは「超凄い」なんです。理不尽を嫌がるのが普通なんだよーって思えるようになれれば、ちょっとは気が楽になりません?

 

 

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