僕のブログの検索流入ワードがですね、面白いんです。
なかなかネガティブ。同じ人が集まってくれてる感満載。
てか串カツからきてるとかまじかすげえな。
見事に類が友を呼んでます。いやあ、良い感じ。
ぶっちゃけPVしょぼいんですが共感してくれてる人が見てくれてるのがありがたいっすね。
で、この中で一番読まれてるのがこの記事です。地味に小規模爆発起こしてます。↓
行動力のあるバカから学ぶ”行動できるバカが素敵である三つの理由”
僕は、
って言われそうなくらいくらい行動力がないです。
何かするの超怖い。渋谷でWi-Fiを貸せる根性がすごいです。
特に批判する人ね。怖い。あれはダメだ、面倒くさい。
とはいえ生きてくにはなにかしらやらなくちゃいけないので、怖い怖い言ってもしょうがないです。
ってことで今回は自分を鼓舞してみようと「なぜ目立つとむやみに批判する人が湧くのか?」を考えて、
批判する人って実は気にする必要ないんじゃね?
とちょっとでも納得させる記事を書きました。
きっとこのブログを読んでくださる人は怖がりな人が多いと思うので、是非考え方の参考にどうぞ。
これが意外と多そう。
だいたい世に転がってる批判とか意見を見てみると”よくわかんない批判”と”なんかアドバイスっぽいことを言おうとしてる批判”の二つに分かれるんですよ。
前者は無視していいですよね。
「バーカ!」といった類の「いや子供かよ」って批判。
こいつみたいな。
そして後者は、すげえ経験者っぽいアドバイスみたいな批判をする人。
これがなんだか厄介で。
たぶんこの人は好意で言ってんだろうなあって思うんです。
最近話題だったのが鳥巣さんのこのnoteですかねえ。新卒で会社入らないでフリーになりますという記事。凄いバイタリティー↓
「新卒フリーランス」22歳大好きなことで生きていく私の決断。
その次の記事で鳥巣さんが批評に対して回答してるんですが、その批判の数々を見てるとですね、
「結局何がしたいの?」「具体性がなさすぎて怖い」「イノベーションの言葉のひとり歩き。」「意識高い系の代表例」「若い」「早稲田を推しすぎ。別にすごくない」「アウトプットする意味がわからない」
まあ、
「会社出てすぐそんなことできると思ってるの?」とか「まだ経験もないのにそんなことできるの?」とか、その類の意見ですかねえ。
「社会の先輩として云々かんぬん言いたい!」っていう謎の好意を抱えてるんでしょうけど、なぜそんな見ず知らずの人のために好意を振りまくんだろうというのが謎です。それ身内に言えば良いのに・・・。
コメントしてる人の中で話題に鳥巣さんと面識のある人はほとんどいないでしょう。
なのにどうしてそこまで謎の好意をふるうことに労力を使うのか。
その時間を自分のことに向けた方がよっぽど有意義なのに。
こういう人にはたいてい師匠的な人とか目指してる人とかいるはずなので、必要なことは全部そちらから学び取ってますよ。経験がない人が外からやいのやいの言ったところで、経験のある人の意見には勝てません。こちら側が変な好意で発信してるものってただのお節介にしかならないんですよねえ。
ぐぐぐーっとね、同じ沼地に引き込みたいんですよ。
(デレマスとはなんぞや)
批判される対象になる人は”問題行動をした”か”自分のことを堂々とさらけ出す”のどっちかです。
前者はしょうがないです。冷蔵庫に入っちゃダメですよ皆さん。
対して後者は何も批判されるいわれはないです。
でも自分をさらけ出せる人ってそうじゃない人から見ると、すげえキラキラしてたり才能があったり夢や目標が明確だったりと、なんだかかっこいい人が多い。そしてその結果目立つんです。
それが、
「なんでこいつはこんな・・・」
「こんな目立ちやがって・・・」
「俺はこんなに大変なのに・・・」
といった感じの嫉妬につながり、悔しいから同じところに引き込みたいっていう気持ちになるのではないでしょうか。
よくある同調圧力ってやつですかねえ。「みんなが苦しんでる中で一人だけ人生楽しみやがって・・・」っていうイメージです。
基本的にみんなから突出した存在というのはいつだって足を引っ張られるんでしょう。
でもそんなことしたってなんにもなりません。
イライラする人が増え、良くない空気が伝播して、またイライラする人が増えて・・・
っていう負のスパイラル続きです。
自分から不幸に片足を突っ込んでるようなもんですよ。
ある意味可哀想だなあと。
自分に自信がない人が自信を持つ手っ取り早い方法が”批評家になること”です。
批評家ってすげえ楽なんですよねえ。
外からやいのやいの言ってるだけでなんだかやってる感が出るんですよ。
あれがだめ!これがだめ!って言ってると「自分はすごい考えてるぜ感」が出て、ある種の優越感に浸れるんです。
おそらくこれが欲しくて、目立つ人に批判をするんじゃないでしょうか。
若い人に対して「これはどうするんだ!?」「こんなの上手くいかねえよ」って好き勝手言う人はその典型な気がします。
こういう人は”言うこと自体”が目的なので正論を述べようが無駄。
おとなしく耐えるしかないってのが辛いです。
「じゃあ否定しちゃだめなのか!」って言われるとそうでもなくてですね。
もちろんリスクも考えなきゃいけないので批判的な意見はある程度必要です。
では、批判する権利を持つのは誰か。
”フィールドに立ってる人”
これなんですよね。
これ会社の上司に以前言われまして。
「会社ではとにかくフィールドに立ってほしい。観客席から好き勝手言う人間にはなるな」
おお、金言だなあと。
確かに観客席って責任感ゼロですもん。
ペットボトル投げ付けようが暴言吐こうが、周りもやってるとそれについつい乗っかっちゃいますし。
傍から見るとすげえ恥ずかしい。安全地帯からやいのやいの言うのはださいですよねえ。
フィールドに立ってどれだけ一生懸命にやっていても、事情を知らない外部の連中が好き勝手言ってくるんですからたまったもんじゃないです。
でもここって誰もが通る道だと思っていまして。
特に若くて色々活動してるとなりがちです。
まあ年を重ねてしっぽり考えれるようになれば良いんですけどね。
こじらせすぎていい年してやいのやいの言いまくる人にならなければ良いんだと思います。
よく批判のためだけに匿名アカウント作って突撃してる人いるけどあれはマジで恥ずかしい。
人にはそれぞれ重ねてきた人生があります。
当然満足のいく人生を送ってる人もいれば、不満だらけの人生の人もいるでしょう。
そんな不満だらけの人が、将来にキラキラ希望を抱いてる人を見るとなんだか自分を否定された気分になって批判に繋がっているのではないかと思うのです。
自分の考え(と、いいつつ周りに流されてきた)に従ってきた結果、なんだかモヤモヤした人生になってしまった。
そんな時に自分が辿ってきた道とは全く別の道で挑戦しようとしてる人がいる・・・!
しかもなんかキラキラしてるし・・・!
羨ましいという気持ちとは裏腹に「ここであの人が成功したら自分が選んだ道はなんだったのか・・・」ってなる。だから正当化するために批判する
こんな感じですかねえ。嫉妬も半分くらいでしょうか。
別に自分になにか言われたわけじゃないのに、なんか遠回しに否定されてる気持ちになってるんです。
自信がない人は自己肯定感に欠けてたりすげえ状況を悪く捉えがちなので、勝手に被害妄想に陥りがち。そこで止まれば良いんですがそれを晴らすためにずれた批判という形に持って行ってしまうんです。
以上が”目立つと絶対に批判が出る”理由です。
これらを考えたら批判される側が罪悪感を感じる必要性は皆無でした。
とりあえず人の目を気にしすぎちゃう人はこれらのことを考えればいいのではないでしょうか。
むしろ同情するくらい達観していきましょう。
なのに気にしちゃうんですよねえ・・・。
昔よりはマシになったけど。
これだけ書いてますが見る人からしたらこの記事も立派な批判記事だし、なにより僕も根はこういうタイプの嫌な人間なので気持ちはすげえわかります。
でも外部にばっか気をとられるのは良くない。
自分でどーにかしなきゃいけませんから。
ほんと自身の無さって無意識に良くないことを引き起こしますよねえ・・・。