近頃はすっかりツイ廃と化してしまった僕。業務もソコソコに、一定の間隔をおきトイレでぴこぴこTwitterをいじる日々。そんなツイ廃野郎ですが、先日このようなツイートをしたところ割と反応がございました。
会社が嫌いなら転職すればなんとかなるけど、労働が嫌いだとかなり人生詰み状態。
「会社辞めたい!」って人は、自分がどっちなのか見極めた方がいい。後者なのに気付かないままだと永遠に無駄に転職することになる。別の打開策必至。
って、ワイのことやないかい!!
— ぶらりぼっち日和@会社辞めた人オフ会開催 (@hitomishiri_da) 2017年7月31日
やはりTwitterは詰んだモノノフのあつまりなのでしょうか。仕事を辞めてからこうしたツイートの反応率がえげつないです。
目次
「労働が嫌い」というどうしようもなさ
さて、先述のツイートについてつらつら語ってまいります。と言っても、全てはツイートで語り尽くされていますが……。
僕は会社ではなく、労働が嫌いです。
先日、前職についての記事を書きました。前職での思い出(?)や感じたこと等々、いろいろな感情がおり混ざった記事。そこに書いた通り、前職は職場環境的には最悪でした。休みはカレンダー通りではなく、月に数回あるかないか。日付を超えて帰宅しても翌日五時起き頻発。あまりにも早朝に働く回数が多すぎて、しまいには会社の近くにお泊まりしなくては体力が持たない始末。残業たんまり残業代しょんぼり、、、。松崎しげるもびっくりの黒模様でございます。
ただそれでも一年間やれたのは、人に対して愛着はあったから。会社の人から特にパワハラが受けたわけでもなく、よくわからない気遣いを強制されたこともない。また、当時の労働環境を決して良いとも思っておらず、常に「改善したい」という意思は感じていました。会社である以上「思うだけで良し」とは思いませんが
業務が鬼のようになったのも、そういった働き方が当たり前の業界の下請けとして関わっていたことが原因。会社自体は、やや精神論で乗り越えようとする節はあったものの、社風だけで見ればまともな会社であっただろうと感じます。Twitterを見るともっとやべえのいるし。
しかしどんなに人の面ですがりつけても、労働条件がそれ以上に腐っていれば、そのうち順序が逆転します。すなわち「人が良くてもこれはひどい。もういられるか!」と。前職を辞めた理由は明確に「労働条件が酷すぎる」からでした。
では今の職場はどうかというと、まごうことなきホワイト。
土日祝日確実に休み。
連休はきっちり取得させられる。
業務はきっちり八時間。
残業は基本やらせないし、もし残業しても残業代はきっちり支払われる。
というか派遣をまとめる立場の社員の方が早く帰ることもしばしば。
振替休日と有給は定期的に確認され消化させられる。
しかもかなり大手。おそらく潰れることはない。
ーーー前職と比べたら、天国のようである。
考えたら、今の職についてから初めてまともな「華金」というやつを経験した気がします。いつ休みかもわからず、翌日が休みだったとして前日の帰りが遅すぎてちょっと一杯、なんて気分にはなれない。休日にも平気で仕事が入る可能性があり、何度も何度もプライベートの予定をリスケ。
現職ではそんなことしたら会社からお怒りが来ます。「コンプライアンスちゃんとせんか!」と。派遣という立場ではあるので当然制限もありますが、基本的には妙なパワハラはありません。Twitterで会社に苦しむ人をみんなここへ呼びたいレベルです。多少偉そうな人がいることは否めないけども
でも全く満足できない
そう、満足できないんですよ、僕。なんなんでしょうか。前職の時は四六時中「なんだよこの労働時間に労働条件、っざけんなっ!!」という気持ちを抱えたいました。だからこそ、労働条件を変えたらきっと良くなる……!次の職場は慎重に選びたい……!それが叶い友人経由で今のホワイティな職場にたどり着きました。
でも、全く満足できない。
ええ、きっと他の社畜一同からしたら「何わがまま言ってやがんだこの野郎」というのが本音でしょう。でもね、無理なんです、本当に。理由は最初のツイートの通り。「労働という概念が嫌いすぎる」から。
え?
「いやいやいや、そんなん言ったら俺だって働くの嫌いだし!」
ですって?
確かに、そうかもしれません。ただ、その感情が一体「本当はどこから来ている感情なのか?」ということは是非把握しておいて欲しいのです。
賃金?業務内容?人間関係?
今「働くのが嫌い!」という感情を抱くあなた。その感情は一体どこから来るものでしょうか?
あの上司がうざい!
給料が低い!
業務クソつまんねえ!
人それぞれ、なんとなくはあると思います。でもそれって、あくまで “目の前の事象” に対して抱く感情にすぎない場合もあるのでは、と思うのです。ムカつく上司がいたら誰だってぶっ飛ばしたくなるし、働いても働いても安い給料でこき使われるだけならみんな不満はたまるし、業務がつまらなければ誰でも飽きる。逆にこれで無感情な人なんて珍しいでしょう。いずれも感情を悪い方向に動かされることばかり。でも、それがすぐに「自分が働きたくない理由」に結びつくかと言われたそうでもない。
やばい、なに言ってるかわからなくなってまいりそうな予感。僕を例にとってみます。
学生時代僕
僕は人が良ければある程度のところまでは働けると思う!よし、人がいいところを選ぼう!
前職僕
いや無理だわ。人が良くても無理だわ。たえられねえわ。やっぱ福利厚生がしっかりしてないとだめだ
現職僕
やべえ福利厚生関係なかった働きたくねえ!
こんな感じ。「人良ければ……」「給料が良ければ……」というなんとなくの価値観はありました。そして、職を変えるたびに確実にそこは満たされていた、、、はずでしたが、最終的に労働が無理ということにたどり着いてしまったのです。
「労働が嫌い」 は相当詰んでる
これはかなりやばい状態だな、と。もし、「この会社の○○な部分がダメだ!」というのが真実であれば、転職をすれば解消される可能性は大いにあります。ツイッターでよく見る「上司タヒね!」「先輩タヒね!」とかあの部類ですね。
でも、労働が嫌いなのはダメだ。ダメすぎる。
労働が嫌いということは、転職がほぼ無意味であるということ。それはそうです。転職をしたところで、結局働くことからは逃げられないのだから。
「働きたくない」の源泉を正しく掴まないと対応策を間違える
今「働いのが嫌い!」という感情を抱くあなた。
その感情は一体どこから来るものでしょうか?
冒頭の台詞の意図はここにあります。自分の「働くのが嫌い」という感情の源泉を正しく把握しないと、間違った対応策で疲弊する恐れがあるんです。本当に、会社の一要素に不満があれば、そこを潰せば道は開ける。転職の際も、どこを重視していけばいいのかがわかります。
でも「働くのが嫌い」ってなったら……もうどしろと……。自分の好きなものでどうにか変えていくくらいしか方針がない。あるいは、玉の輿にのるか、宝くじで一発当てるか、なんら変なビジネスに手を出すか。グッと選択肢が狭まっていきます。やべえ。
こんな状態なので、どんなに転職をしても解消されない恐れが非常に大きい。そもそも概念が嫌いなんですから。でも気づかずに「給料が良くなれば」「残業がなくなれば」でぐるぐる転職をし続ければ、それだけで疲弊する……。
どっちみち、詰みな状態が続きます。
脇道に逸れた選択肢が必須になるのでは
僕みたいな人間は、普通の対処法ではダメな気がします。少し脇道にそれるじゃないけど、あまり選ばれないような道を選ばざるを得ない。そこで考えたら、このブログもその一環になりつつあるなあ。
ブロガー界隈にいると感覚が鈍るのですが、普通なかなかいないと思うんですよ、個人で何かを発信してる人って。みんな疲れてますから、こんなろくに金も稼げず非効率極まりないブログ媒体なんて、普通やりません。
僕も若干派遣の仕事が増え、疲れて書かないことも増えてきましたが、それでもブログにネガティブな本音や自分が薦めたいものを好き勝手に書くというのはストレス解消にもなるし、自分を外部にさらけ出すことにもなる。
それを読んでくれる方がいるのは嬉しいですし、良い息抜きにもなる。他にも、自分の頭が整理されたり、共感者が増えたり。あわよくばここから何かご依頼があったり……!なおただいま依頼はゼロ件
これをまがいなりにも続けてる時点で、僕の中でのブログの位置付けが「人生詰み状態を打開してくれる何か良いもの」になっているのだと思います。それに多かれ少なかれブロガーって社会に馴染んでない人が多いし
普通に働いてるだけでは、人生に対して行き詰まった感覚しか抱えていなかったので、この効果はかなり大きい。まあこれが仕事になったらまた感覚が変わるのでしょうが……。
自分の現状にあった解決策を
結局言いたいことは、自分の仕事への思いの源泉を上手く捉えて「転職する」以外の、少しおかしな選択肢も考えようぜ!ということ。明確な要因があればそれを潰すための転職はあり。でも「労働が嫌い!」という感情は、どの会社に行っても逃げられません。結構な詰み状態。でも、それを少しでも薄めれる選択肢を選び取れれば、それなりに良い生活を送れるのではないでしょうか?今の僕にとってのブログみたいに。みなさんが無為な転職で消耗しないことを願います……。