ヤッホー、年中ぼっちのブロガーです。最近は一人の生活も板につき、一日に来るLINEの通知のうち98%は企業アカウントorLINE@な日々を過ごしています。通知もねえ!電話もねえ!そんなに誘いが来るわけねえ!
食レポは基本一人でもぐもぐするし、休日は近場を適当にぐるぐるしながら写真をパシャパシャ。そんなぼっち充な日々を過ごしております。へへーんだ!
逆に誰かと一緒にいると非常にもぞもぞしてしまうことがしばしば。ご飯を誰かと一緒に食べると、間を持たせることが主要任務になってしまい味に集中できないですし、一緒に歩いていても話すネタはそんなに無い。むしろ周囲をキョロキョロして面白そうな場所を発掘したい気分です。
人は好きである
まずあらゆる方に勘違いをしていただきたくないのが、僕は決して人が嫌いではない、ということ。
今日は一人の気分……
これは文字通り、あくまで一人の気分なんです。人が嫌いとか、あなたが嫌いとか、コレッポチも考えていません。ただひたすらに一人の気分なのです。僕の中で「人が好き=人付き合いが好き」という等式は成り立ちません。あくまで別個の物事にすぎない。
この人面白いな。
この人は自分と合いそうだな。
この人はどういう考え方を持っているんだろうか。
このような考えになることは多々あります。特にブログをやっている人ならね。そういう人は外から見て楽しみたいし、ちょっと話して見たいなとも思います。
が、それと人付き合いは全くの別物。あれは別の神経をすり減らすから苦手なんですよ。誰かと関わるとなると、よほど気の置ける人を除き色々なことを考えなければいけません。
この人は何を言われたら嫌だろうかとか、どんな雑談だと話が弾むかなとか、どれくらいこちらの引き出しを増やさなきゃいけないかなとか、いろいろなことが頭の中でぐるぐるし始める。
そうなると、いくら気の良い人でも「ああ!関わるのめんどくせえ!」となりがちです。だったら一人で密やかに時を過ごしたいなと思う訳です。
誰かと一緒じゃないとおかしいのではないか?
今でこそ「一人は気楽!たまに誰かと話すくらいでいいやヒャッホイ!」なテンションですが、昔は今とは真逆でございました。いや、一人が気楽というのは根っから変わっていませんでしたが、開き直れていなかったな、と。
話は思春期に遡ります。中学~高校くらいでしょうか?もうね、思春期は僕の中で黒歴史とかしておりますよ。当時の僕は激烈に友達がいませんでした。誰だ、今もじゃんって言ったのは!
例えば高校時代。この頃お昼といえば、お弁当を持ってきて友人と食べるというのがほとんどかと思います。教室で食べたり、部室で食べたり、外のベンチで食べたり……。思い思いの場所でランチは過ごしていたことでしょう。
この時に前提となるのが、友人と一緒ということ。よくよく考えるとこの時期に一人でランチをしていた人ってあまり見かけた記憶がございません。
教室の隅っこで弁当箱を開き、ただただ無心でもぐもぐもぐもぐ。終わったらそそくさと図書館へ避難する根暗な子でございました。特に食堂とかは寄れなかったなあ……。
このころの気持ちにあったのはやはり「みんな一緒なのに僕だけ一人……」という恥ずかしさ。教室という密閉された空間で、趣味も思考も性格もバラバラ、誰と気が合うかわからない状態で、最低一年間過ごさないといけない。たちの悪い家族みたいなものです。
この閉鎖空間でスタートダッシュをしくじると、暗黒の学生時代が待っているわけですからなかなかのハードモード。そりゃ、恥ずかしくもなりますな。
大学時代であれば、学外活動やなんやらと自分自身で付き合う世界を変えることができますが、高校まではそうはいかない。
基本は「家」「学校」の二つのみ。この狭っ苦しい世界が全てです。この狭っ苦しい世界での生き方をしくじった僕は、恥ずかしさと数年間戦うことになるわけです。
ところがどっこい、今はどうでしょう。営業同行中に先輩とご飯を食べるくらいはしますが、基本は一人。恥ずかしさなど微塵も感じません。
安い弁当屋でランチを買い、いつもの地下スペースでムシャムシャ。同じフロアの方がいても「あ、いるわ」程度の感覚で颯爽とスルー。なんの罪悪感もありません。
むしろ昼休みという憩いの時間を、さして仲が良い感じもしない方と過ごしている方を見ると「大変だなあ」という気分になる次第です。
これも別に人が嫌いというからやっているのではなく、あくまで「人付き合いをしない方が気楽だから」ということにすぎない。一緒に働いてる方に大きな不満はありませんし、ネチネチ嫌味を言われることも無い。オフィスでも普通に話します。
でもそれが業務外の時間まで引き上げられ「人付き合い」になると超絶面倒くさい。頼む!一人にしてくれっ!という気分になりまする。
ネット8割、リアル2割という理想
最近の僕のコミィニケーション場所はもっぱらツイッターを始めとする、ネット社会でございます。通勤時間に面白いツイートやためになりそうな情報を巡りぽちぽちリツイート。
仲の良い(と勝手に思っている)ツイッタラーさんがいればリプを飛ばし会話。就業時間中も暇な時間を見計らい適当に流し見。帰宅時間もツイッタラーと細々交流……。
ものすごく根暗感がハンパないですが、僕からしたらこのくらいの温度感が丁度いい。顔が見えず、いわゆる「ネットのノリ」が通じる人たちと関わるのは大変に気楽なのです。
普段の鬱憤を晴らしたところでリアルのように人目を気にして咎める人もいないし、根本的な思考がどこか似ていたり。ネットという「普段の自分をさらけ出せる場」が入口となって知り合った人は、大抵会っても心地が良い。
もちろん「人付き合い」は苦手なので、そうやってリアルで合うのも月に数回とかで全然良い。どんなに心地良い人でも、きっと僕はずーっと一緒にいると飽き飽きしてしまうので。
この人間関係のあり方は、良い悪いかというものでもなく、単純に僕の性格には合っているというだけ。四六時中誰かといないと寂しくて死んじゃうウサギみたいな人もいるでしょうし、そういう人には僕のあり方は理解できないはず。
逆に僕も向こうを理解できません。今やネットにこもるなんて言葉もあまり意味をなさない時代。関わり始めはネットだとしても、そこからリアルに繋がることなんてもはや珍しくもなんともないことなのです。
決してさみしくない訳ではない
なんだかメンがヘラってる文章で申し訳有りませんがもう少しだけお付き合いください。人付き合いが苦手なだけで人が嫌いということではないので、やはりどこかでググっとこみ上げる訳ですよ、寂しさが。
夜外食へ行った時にカップルを見かけると「いいなー」と思ったりもしますし、みんなで海!みたいなインスタ映えする写真を見かけると「こんなリアルが充実した男に生まれたい人生であった……」としみじみしたり。そんな時は無性に誰かと話したり、わけもなく誰かと会いたくなるものです。
しかし根本は人付き合いが苦手……。だからこその、ネット8割、リアル2割。ネット上では気楽でラフなコミュニケーションが取れる。リアルに持ち込む場合は、多少早めに告知しておけば誰かに会えないこともない環境。
さみしがり屋で人は嫌いではないけど人付き合いが苦手、という絶妙にメンがヘラってる人間からしたら最高のバランス、最高のツールなのです。
急にメンがヘラった文章を書いてしまった
人見知りであるはずの自分が、なぜオフ会に参加したり主催したりしたのか、近頃の僕は不思議だわ!という気持ちに陥り、ふと書き連ねてみました。
というより、ブログやツイッターに張り付いてる方ってこのような性格の人が多いんじゃないでしょうか?『ちょうどいい距離感』ーーーそれを求める人にとってネットは、最高のオアシスなのかも。