『ネットに引きこもる』は正しいのか?

 

 

 

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ーーー朝起きて、二度寝して、お昼前に起きて、ダラダラご飯を食べて、適当に動画を見て、適当にブログを書いて、日付が変わる前に寝る。そんな生活を送りたい。

あ、どうもニート希望のぶらりぼっちです。

派遣の仕事が始まりもう四ヶ月が過ぎました。いやあ、早い。早すぎる。

 
なんだかんだ僕は6月20日に仕事を辞めてからたった10日足らずで次の職場での勤務が始まってしまいました。その時の悲劇はこちらの書き記してあります。

www.burarin-gurume.com

あの10日の光り輝くようなネオニート期間はもう過去のこと。嗚呼、懐かしきネオニート期間。あの素晴らしき日々よ永遠にーーー。

 

ギリギリ社会に合わせる思考

こんな思考ですから、僕はとにかく働きたくない。ニートになりたい。

でもお金はないといけませんから、苦肉の策として福利厚生バッチリで定時上がりの企業で派遣として勤務しています。嗚呼、5000兆円欲しい

もし残業を強制されたりよく分からない飲み会に自費で強制参加されようものなら即刻ブラック企業認定を下すでしょう。

こんな野郎なので、思考は完全にニート。お金という概念がなければ決して労働なぞには取り組まないであろう存在。

 

 

仕事で圧倒的成長を?

 

 

 

仕事で社会貢献を?

 

 

 

会社のために何ができるか考えろ?

 

 

へへーん!そんなもんどっかに落としてきましたよーだ!参ったか!拾いに戻る気もありません。

こんな僕は端から見たら『色々とこじらせてる人』なのだろうなあと感じます。正社員の方々から見れば「おいおい将来は大丈夫か?」と不安にもなるでしょう。

実際最近の僕は、『リア充自慢の巣窟』ことFacebookにも登場しないですし、リアルなつながりでの活動は限りなく0に近づいてきました。大学時代の人との飲み会なんぞ知らん!

学生時代は意識が高い活動に勤しみ、起業家の講演やコンテスト、セミナーを開催していた僕がこうなってしまうとは誰が予想したでしょうか……。

 

ネット中心の気軽な関係構築

そんな僕は、気楽な人間関係を望みます。特にカッコつける必要もなく、最低限のラインは引きつつも自分をさらけ出せる、そんな人間関係。

この点ではやはりブログやツイッターは最適ですね。ネット上で気軽に誰かとコミュニーケーションを取り、実際に会いたくなったら連絡一本で気軽に会える。リアルで逐一顔を突き合わせる会社での繋がりより、よっぽど自分の精神を健全に保つことができます。

以前の人付き合いに関する記事にも書きましたが、僕は人は好きですが人付き合いが苦手なんですよね。

できればリアルでの接触は『最小限かつ自分が望んだ時に行える』ようにしたい。だからこそネットの中で人間関係を構築し、そこを中心に活動したいのです。

 

『ネットにこもりたい』は異常なのか?

これは端から見たらから、『ネットにこもる』や『根暗』というイメージを持たれるのでは無いでしょうか。

特にネットに抵抗のある世代からしたら「あそこのお宅の息子さん、いっつもパソコンいじってるらしいわよ……?」と警戒されるかも。大きなお世話だ!

「リアルでのコミュニケーションを放棄し、顔も名前も知らぬ人間とのやりとりに意義を見出すなんて……」

きっとかわいそうな人扱いでも受けるんでしょうかね。働いてこそいますが、ある種の『引きこもり』に等しい僕、すなわちネット弁慶でもあるなあと。

しかし、当事者からするとこういったイメージには少々反抗心を抱きます。なぜネットの住人になることが『引きこもり』へと繋がるのでしょうか?

 

『コミュニケーションの起点が変わった』という認識

リアルでの活動をしっかり勤しむ人はリアルで活動をし、そこを起点に様々なものへと起点させていく。それが会社での仕事であったり、友人関係であったり。職場恋愛なんかもこれの派生でしょうか。

対してネットでの活動に勤しむ人は、あくまで『ネットが起点』というだけ。今やネットからリアルへの転換なぞ簡単にできる時代です。

僕の周りを見れば、自分のブログから寄稿依頼やオフ会開催、さらにはネットから恋愛関係に発展するなど、とても『引きこもる』という類では無い現象が起きています。

仮にネットだけの世界だとしてもそれは然り。リアルでの人間関係は難しいかもしれませんが、仕事や簡単なコミュニケーションであればネット上でも問題なく行えます。

 

引きこもる=現状維持

もし無理やり『引きこもる』という事に定義付けをするのであれば、僕ならこうします。

もはや『リアルか、ネットか』などという考えはナンセンス。どこにいたって外部との関わりを持つことは可能です。

それよりも、現状維持に甘んじ、自分や周囲の関係性が変わらないことこそが真の『引きこもり』ではなかろうかと思うのです。

会社勤めというリアルでの活動に勤しもうが、そこの凝り固まった人間関係から一歩も動かなければそれはもう引きこもりと同義。

逆にネットでの活動に勤しもうが、そこから新たな人間関係や環境を生み出せればそれはもはや引きこもっていないことと同義。

僕も先述の通り、会社の業務時間中は全力で仕事をし、自分のことが終われば即帰宅。一応お金はもらってるのでその分の仕事しますが、余計なことは一切しないマンです。

そのあとはネットでのやりとりやネット経由の方とのオフをしたりと、リアル側から見れば『ネット弁慶』のようになります。まあネット弁慶という言葉がふさわしいかわかりませんが……。

しかし、代わり映えのしない会社メンバーと儀礼的に会うことよりも、ネットでいつもやり取りしている人とリアルで会う機会を作ってみたりとリアルでの新たな出会いにつなげている僕が引きこもりかと言われたらやはり疑問には思うのです。

ストレスを抱えながら閉鎖的な環境に止まるのは息が詰まりますからねえ。ネット中心ではありますが、日々新鮮な関わりと出会う可能性のある僕はむしろアクティブ人間(?)ではないかしら。

 

少しでも新鮮なものに触れられればそれで良し

とまあネット弁慶の僕の言い訳のような文章になってしまいました。が、つまりは『自分にとって変化のある環境にいれるなら、どこをコミュニケーションの起点にしようが構わない』ということです。

自分にとって、という部分がミソ。何が自分に合うかなんて人それぞれなので、それがオンラインゲームであろうが2ちゃんであろうがどこでも良いと思うのです。

もちろんネット経由ならではの危険性も考慮に入れながら、という前提はつきますが。ある程度分別のつく大人であれば、自分にとっての心地良さくらいは自分で見つけたいものです。

 

 

 

 

 

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